星屑の空

お酒が好き。本が好き。音楽を聞くのは好き。仕事の話・創作・普段の生活のことなどごった煮。

創作練習_逃げ続ける彼

 いつだって逃げてばかりの人生だった。別に逃げたくて逃げていたわけじゃない。「彼自身」が正しいと思っていた選択が後からみたら逃げにつながっていただけだ。

 中学校でいじめられていた時も、学校にいかないでその辛さを回避しようとした。いわゆる不登校ってやつだ。所属していたテニス部のラケットバッグを隠されたり、部活中に後ろからわざとボールをぶつけられたり、死ねと机に落書きされたり、そういったありふれたいじめだ。毎日学校へ向かうのがつらかった。先生にも言わなかった。気づくだろうと思ったのだ。誰も自分のいじめに気付くことなんかなかった。

 高校で付き合っていた彼女に大学受験期に振られた時も、話し合いなんかせずにいわれるがまま受け止めた。もちろん最初は反発した。しかしながら相手がそう思うなら仕方がないことだと諦めたのだ。人の気持ちなんか変えることはできないのだからと。

 大学に進学した直後に彼の父親が亡くなった。火葬の際に骨を見ることもしなかった。長男にも関わらず、だ。火葬直後に葬儀場の人間に骨を見られるのは2.3名だと言われ、彼は彼よりみたいであろう母親や二人の弟に譲ったつもりだった。親族の目の前で気丈にふるまわなければいけないし、3名くらいしか入れないなら仕方のないことだ、とぼんやりと考えていた。でも実際は父の兄弟や祖母も見に行ったし人数制限なんか倍くらいオーバーしてみんな見にいった。彼はルールを守ったつもりだったのだ。でも、そんなルールなんてだれも守らなかった。

 いじめを回避しようと、学校にいかなくなった。関係を終わらせたいのならば仕方のないことだと、相手の思う通りにした。ルールを守った方がよいのだと、親の骨すらきちんと見ることがかなわなかった。

 その時は、当たり前の選択だと感じたし何も問題はないと信じていたのである。だが今振り返ってみるとどうだ。後悔しか残っていないのである。

 未だに中学のいじめの記憶はふと思い出されるし、高校の頃に付き合っていた子に似た子を見かけるとそこからすぐに立ち去る。寝ても夢の中に死んだはずの父親が出てくることがある。彼はなにも成長なんかしていないのだ。

 そこにあるのは救いなんか特に存在しない、かといって絶望も存在しない毎日の日常の繰り返しだ。わざわざ語るほどのことでもないかもしれない。だが、一人の人間の生き様というものは、他人からしてみたら小説よりも作られた存在であり、そして平凡なものでもある。どちらかではないのだ。どちらでもあるのだ。それは、そう、あなたの人生もである。

 彼は、それなりの大学に入学してそれなりの生活を送って、それなりの企業に入社した。「それなり」なんて言葉は人によって意味する内容が変わる。抽象的に語ると何も彼のことをわかることができない。だからといって具体的に語りすぎると「それなり」感は薄れてしまう。なので解り易く、でもすこしぼかして語ろう。

 彼は慶應に入学して、テニスサークルに所属し、彼女もできた。成績は良くはないが、留年もしなかった。超大手に入社したわけではないがそこそこの規模の会社で、業界では有名である。平均年収もまあ1000万を超えていないが、700万くらいだろうというレベル。労働時間は長いことで有名だが、悪くはない。彼はそんな自分自身を「それなり」な人生を歩んでいると考えている。

 勘違いしないで欲しいのだが、彼は自虐的でも自慢的でもない。本当に自分自身を「それなり」だと考えているのだ。大手の総合商社やテレビ局、出版社や医者や弁護士の世間でいう勝ち組の知り合いもいる。はたまた、就職できなかったり大学を中退して何もしなかったり、犯罪に手を染めた知り合いもいる。その知り合いたちと比べて彼は自分自身を特別な存在でなく、よくいる「それなり」の人間だと感じているのだ。

 見方によっては彼は勝ち組みかもしれないし、負け組みかもしれない。エリートかもしれないし、凡才かもしれない。東京大学卒業の人間からしたら彼は勉強ができない奴だし、総合商社やテレビ局に勤めている人間から見れば安月給で働く可哀そうな人間かもしれない。そんな風に様々な角度からみてみたら彼は自分はどのようにでも見える立ち位置であることに気がついた。ナンバーワンのベストな存在でない代わりにブービー賞のワーストではないのだ。

 彼はそのことに気が付いてしまった。だから「それなり」だなんていっているのだ。その「それなり」に気付いてしまった瞬間、彼は自分が本当に嫌になった。この平凡さこそが幸せだ、なんてどこかの誰かが言っていたような言葉を自分にもあてはまると思って生きてはいるものの、そんなことは全くなかったわけだ。その平凡さは自分にとって全くつまらないものだということを思い知ったのだ。

 ……いや、正確に言うと違う。彼はその「それなり」しか知らないから非凡な人間の日常にあこがれているのだ。こんな自分がいるところよりはいいところだろうと。隣に芝が青く見えているだけにも関わらず、「それなり」よりは面白いところだろうという判断をしているのだ。

 だから、彼は変わろうと決意した。

 でも、彼は変われない。変わろうと決意しただけで世界が変わるのならば世の中のほとんどの人間が今の生活をぶち壊せている。想いだけではなく、力がないといけないのだ。

 彼は、想いも強くなく、そして力もない。そんな毎日が、ある日突然知らない誰かによって壊されることを勝手ながら祈っているのだ。ありえないと知りながらも、人間はその知らない誰かやよくわからない何かが起きると思い込んでいる。しかもそれは自分の思い通りに都合よくなると信奉しきっている。

 

 宝くじがあたるかもしれない。

 いつも電車が同じになるあの女性と運命の出会いになるかもしれない。

 

 そんな夢物語を、今日も彼は見ている。